歴史

タイカイロプラクティック協会の歴史

タイでカイロプラクターが初めて施術を行ったのは1980年代のことです。しかしすぐに免許を持たずに医療行為をしたことで逮捕される恐れがあり国を退去せざるを得なくなりました。1993年、カイロプラクティックを継続的事業として初めて行いました。1998年までに10人のカイロプラクターが事業登録し業務を行っていました。カイロプラクターは労働許可証を取得し税金を支払った上で事業を行っていたものの、彼らの身分は違法に近い状態でした。労働省が労働許可証を発行したので、保健省はついにカイロプラクティックを合法的医療としてみなさなければならなくなったのです。

1993年から1999年までの間、カイロプラクター数人が無免許で医療行為をしたとして逮捕・起訴されました。更に一人のカイロプラクターは無免許で療養所を運営していたとして起訴されました。当時国内のカイロプラクターらは、絶え間無い逮捕の恐怖に怯えながら働いていました。この苦境はアメリカ及び他の多くの国々のカイロプラクティック史の初期の状況に非常に類似しています。初期のアメリカのカイロプラクティックの先駆者のように、タイでの先駆者は誠意を持って辛抱強く続けました。

タイにおける初期のカイロプラクティックの先駆者の一人が、アメリカでカイロプラクティック教育を受けたタイ国籍者のDr.オート・ブラナであった。逮捕をやめさせるため、そしてタイでの職業としての法的許可を得るため彼は何かを行わなくてはならないと感じました。1999年、彼ははタイカイロプラクティック協会の設立を決意しました。Dr.ブラナは当時タイで活躍するカイロプラクターに連絡を取り、その全員に協会への加盟の勧誘をしました。彼はタイで活動する外国人カイロプラクターを差別しない選択を取り、全員を招聘しました。新しいことを始める際には付き物ではあるが、カイロプラクターのほとんどは加盟することを選んだ一方で、加盟しないカイロプラクターも多少いました。

協会はカイロプラクティックの法的許可の取得を目的として保健省との対話をすぐに開始しました。タイカイロプラクティック協会は保健省にカイロプラクティックの認可の可能性について協議する委員会を設立させることに成功しました。協会は保険省でのプレゼンテーション及びデモンストレーションに何度も参加しました。

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正式な認可を我々の共通の目標とし、タイカイロプラクティック協会の会員は長期間に渡る共同研究を行いました。カイロプラクティック治療の効果に関する包括的な報告書をタイ語に翻訳し保健省に提出しました。保健省は運営している診療所全てに職員を派遣し患者の記録を確認しました。続いて職員は個別に診療所の患者に連絡を取りサービスに対する満足度を評価しました。幸運にも高品質のサービスを提供するカイロプラクターのおかげもあり大成功で試験に合格することができました。

途中失敗を重ねながら数年が経ちました。特定の専門職協会が法的認可を目標とした我々の努力へ異議を唱えました。保健省に抗議文書が提出されたことにより合法化への遅延が発生しましたが、我々は努力を継続しました。ついに2007年、8年の歳月を掛けた我々の努力が報われ、カイロプラクティック法が施行されタイで職業として認可されました。

カイロプラクティック法の通過がタイカイロプラクティック協会の偉業の達成につながり、我々カイロプラクターは逮捕される恐怖から解放され堂々と施術を行うことができるようになり、健康問題の克服するために西洋医学又は外科手術への代替手段としての活用を提案しつつ、能力を最大限に活かし社会への奉仕という我々の究極の使命を全うすることができるようになりました。